考古学の講座に通っている。
旧石器時代から中世までを遺跡調査を元に学ぶという、なんとも広範囲な講座だ。
基礎知識が無いため、90分のうちの数分は、舟を漕ぎそうになる......。
難しくてついていけない、ということなのだけど。
「もう少し勉強してから行けばよかった」と思う半面、「そんなことを言っていたら、いつまでたっても勉強しないだろし、これをきっかけに勉強すればいいじゃん!」と自分を納得させる。
一番楽しみなのが、質問の時間。
なにしろわからないことだらけなので、いろいろ聞いてみたい!
そんな質問の時間に、講師の方がこんなことをおっしゃった。
「今、わたしたちは、こうして5000年前のことを知ろうとしていますが、5000年後の人たちは、5000年前のこととして、現在のわたしたちのことを知ろうとするわけです。
そのときに、今のわたしたちの痕跡はほとんど残っていないでしょうね」
とここで、なぜかわたしのほうを向き、
「今日、あなたが身につけているものも、5000年後何も残っていないでしょう」
そして、「失礼ですが・・・」と一応前置きをされて、その方は続けた。わたしのほうを向いたまま。
「現代は、死んでも火葬ですからね、骨も残すことはできませんし。骨を残し、土器や石器を残した縄文人と、どちらがいいでしょうかね~?」と。
・・・う~ん・・・。
5000年後ですか・・・?
ネイティブ・アメリカンの政治の話では、よく「7世代先の人たちのことを考えて、まつりごとがおこなわれる」ということが言われる。7世代といえば150年ぐらいだろうか?このぐらいならば、現実味がある。
しかし、5000年後は、少々、遠い。
5000年前のことを知ろうとしているのに、5000年後を遠く感じるというのも、なんだかおかしなものだが。
講座が終わり、会場を出れば、巨大なマンションらしき建物を建設中だ。
このマンションも5000年後、間違いなく跡形もない。
いったい、わたしたちは5000年後の人たちになにを残せるのだろう?
5000年後の人たちは、この現代のわたしたちの暮らしをどう見るのだろうか?
縄文時代、人々は武器を持たず、調和の中に生きていた。
弥生時代に入り、この日本列島の中でなにかが変わってしまった。
5000年後の人たちから見たら、現代のわたしたちを調和の中にいるとは、とても思わないだろう。
今、わたしたちは、生き方を問われている。
縄文的な生き方を選ぶのか、弥生的な生き方を選ぶのか。
5000年後の人たちからつきつけられている。
・・・わたしには、そう感じる・・・。
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