クーちゃんの冬眠

上野動物園のツキノワグマのクーちゃんが冬眠中。

ご覧になりました?

めちゃめちゃかわいい!

クマといえば思い出す幼い頃の大切な思い出。

わたしが幼い頃、伯父の家では2頭のツキノワグマを飼っていた。

だからずーっと、「クマを家で飼うのもありだよな~」と思っていた。

というか、当たり前のように伯父の家にはクマがいたので、家にクマがいる生活に疑問を感じたことがなかった。

伯父手作りのブロックの檻の中で暮らしていた彼ら。

伯父の家に遊びに行くと、幼かったわたしはひとつ年上の従姉と、りんごを彼らにあげるのを楽しみにしていたっけ。

ときどき、ラーメンも。

と友人に話すと、みんなどんぶりのラーメンを想像し、「持って食べるの???」とか聞いてくる。

そんなわけないじゃないですかね~。

乾麺、乾麺。

動物園の方が聞いたら叱られてしまいそうだけど、伯父の家ではなぜか彼らに乾麺のラーメンをあげていた。

バリバリ、バリバリといい音をさせて食べるんですよね、これが。

彼らは、飼われていたので冬眠はしなかったと記憶しているけど、今になって思えば、寝ている姿とかもっとたくさん彼らのことを、観察しておけばよかったなーと思う。

そして、彼らにいろいろ話しかけてみればよかったと思う。

クーちゃんの冬眠をきっかけにして、多くの人がクマたちに関心を持てば、人間とクマとの共存も、もう少しうまくいくのではと思うのだけど・・・。

もちろん、クマ以外の動物たちとも・・・。

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木を植えることについて

昨日、夜遅く、石垣島から戻ってきた。

帰ってからメールをチェックするととんでもないことになっている・・・。

緊急性の高そうな何通かは、目を通したが、3日間いなかっただけで未読が50通近い・・・。

それならばここに書くより、そっちを「読め!」というところだが、まだ石垣Timeが抜けきらない。

青い海、青い空。

白い砂、白い雲。

そして輝くような緑。

本当に美しい世界が広がっている。

この美しい世界をわたしたちは、どこまで守れるのだろうか?

石垣島でも、西表島でも「開発」という名の「破壊」は、進んでいる。

石垣島の中心地から川平湾へ向かう途中に、開発によって失われたマングローブを取り戻そうと、植林がおこなわれているところがある。

植林をしているのは、都会の人たちだという。

「植林」とういう言葉を聞くと、いつも疑問を持つ。

山に木を植えて森を取り戻そうと、都会の人たちが来る。

その行為そのものを否定するつもりは無い。

しかし、「木を植えたいのなら、なぜ、自分の周りに植えないのか?」と聞いてみたくなる。

もし、本当に聞いたとしたら「山はないし・・・、森になりそうな土地だってないし・・・都会では簡単に木を植えるなんてできない・・・」と多くの人が答えるだろう。

でも、わたしたちは、考えてみたことがあるだろうか?

「都会になぜ、森が無いのか」ということを。

本当に真剣に考えてみたことがあるだろうか?

「なぜ、簡単には木を植えることができないのか」を真剣に考えてみたことがあるだろうか?

今、多くの人がそのことを真剣に考えれば、この日本列島を本当に「美しい国」にすることもできるかもしれない・・・。

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「出る」という言葉

「熊が出る」

「猿が出る」

「猪が出る」

そんな言葉を最近は、よく耳にする。

この「出る」という言葉、わたしには、なんとも奇妙に感じる。

熊も、猿も、猪も、そこに「いる」わけで「出る」というと、いるはずのないものが、そこにいた、という感じを受ける。

熊の世界へ、猿の世界へ、猪の世界へ足を踏み込んでいったのは、人間のほうであり、彼らのほうからみたら、「出る」のは、人間のほうかもしれない。

かつて、彼らの世界と人間の世界は、ともにかさなりあっていて、境界線が引かれていたわけではない。今も境界線があるわけではないが、人間のほうは、なんとかして境界線を引こうとしている。そして、どうにかして「安全な世界」を作り出そうとしている。

しかし、そうやって作り出した世界は、本当に安全なのだろうか?

境界線をいくつもいくつも作り、気づいたら、追い込まれていたのは、自分たちのほうで、動物園の檻の中にいたのは、実は、自分たちだったなどということにはならないだろうか?

そこは、「安全」ではあるかもしれないが、窒息しそうなほど窮屈な世界ではないだろうか・・・?

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