「ヒロシマ ナガサキ」

今日は、神保町にある岩波ホールに、ドキュメンタリー映画「ヒロシマ ナガサキ」という作品を見に行きました。

この映画は、ヒロシマナガサキで被爆された14人の方々と、原爆を投下したエノラ・ゲイの搭乗者へのインタビューを中心に構成されています。

ただ…、一人の人間として、この地球に生きる一人の人間として、この映画を見ました。

どうか、どうか、この映画を見てください。

一人でも多くの方がこの映画をご覧になることを切に願います。

『平和』

それは、一番始めに一人の心に生まれるもの。

最後までお読みいただきありがとうございます。

Tipi

| | コメント (0) | トラックバック (0)

続きのない夢

最近、夢をよく見る。

この夢がまたリアルで、場面の展開が早く、起きるとなんだかぐったりしている。

バベルを見た影響かもしれない・・・」などと思いつつ、夢の中で夫にその夢の話をするなどというややこしい夢を見たりもしている。

その状況もとてもリアルで、夢だか現実だか区別がつかず、起きてから夫に確認したほどだった(^^;)

以前ここに書いた「続きのある夢」以外の夢は、ここのところほとんど見ていなかったので、正直、かなりとまどっている・・・。

これもなにか意味があるのか、単なる「バベル」の影響か?今日もまた夢を見るのだろうか?と少々心配。

・・・ぐっすり寝たいです・・・。

『これから「バベル」をご覧になるみなさまへ』

これは、夢の話とはなんら関係ございません。

「バベル」を見て、具合が悪くなった方がいらっしゃるようですが、わたしも少々疲れました。

画面の切り替えが早く、意図的なのだと思いますが、カメラが揺れているような映像が多いです。

上映時間も長いので、体調のよい日にご覧になられることをお勧めいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「リトルバーズ  イラク戦火の家族たち」

昨年、どうしても見たいと思い、そして上映会で見ることができなかった映画。

「リトルバーズ イラク戦火の家族たち」

先日、DVDを借り見ることにした。

この映画ほど“自分”が非情な人間であることを、浮き彫りにした映画はない。

あのイラク戦争開戦により起こった出来事。

それはあまりにも残酷な現実。

この映画は、世界の苦しみ、悲しみ、憎しみ、痛み、絶望を全て集めたようだ。

しかし、“これが”、ひとたび戦争が起きた時の現実なのだ。

その現実を前に、無力になすすべもなく、傍観者でいる自分。

それは、自分の中の「残酷さ」と「非情さ」を見せ付けられた瞬間だった。

昨日でフセイン政権崩壊から4年。

わたしは、この4年間、世界の平和のために、なにかしてきただろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「チョムスキーとメディア」

水曜日は、「チョムスキーとメディア」を見るつもりでいたのだが、「ルワンダの涙」を見に行くことにしたので、映画館のはしごになってしまった(^^;)

渋谷のユーロスペースという映画館で上映されていたのだが、シートはなんだか田舎の映画館のようでわたし向き。

この映画の内容は、次の一文に全てが集約されていると思う。

『現代の民主主義国家におけるプロパガンダは、政府による検閲や悪意による歪曲ではなく、マスメディアが持つシステムそのものによってごく自然に行われている。』

昨日、NHKのクローズアップ現代で、バイオ燃料について報道された。

わたしは、“全て”のバイオ燃料を否定するつもりはない。

しかし、バイオ燃料に触れるのであれば、「地球温暖化」に触れるのと同様に、遺伝子組み換え作物に触れなければならないと思う。

アメリカでバイオ燃料の原料になっているとうもろこしは、遺伝子組み換えのものが使われている。

そして、ブラジルのさとうきび、インドネシアのパームやしは、森林を切り開いて栽培されていることに触れなければならないと思う。

日本ではこれまで採算が合わないという理由から、バイオ燃料には力が注がれていなかった。

しかし、原油高とCO2削減の問題から、バイオ燃料の生産高を上げる取り組みが進められている。

昨晩のクローズアップ現代を見ていて、わたしはチョムスキーの『現代のプロパガンダは・・・』という言葉を思い出した。

昨晩の番組では、遺伝子組み換え作物のことも、森林破壊のことも触れられていない。

それ以外の問題点、コストの問題、普及に際しての問題点などは取り上げられていたが。

本来は遺伝子組み換え作物のことや、森林破壊についても知った上で、わたしたちはバイオ燃料を受け入れるかどうかを考えなければならない。

森林を破壊し、生態系を壊して作られたバイオ燃料は、本当に環境に良いのだろうか?

「アメリカでは普及が進んでいます」

「ブラジルでは雇用を生み出しています」

「それに対して日本は遅れています」

「遅れている」、「遅れている」、「遅れている」

「だから、国をあげて取り組まなければならない」

という、刷り込みのように感じた。

チョムスキーはこう説いている。

『捏造された“世論”を疑い、他者との連帯を深める中で自分の価値観を身につけることによって、人々は知的に自衛できる』と。

できるだけ多くのアンテナを張り、多くの人と語り合うことによって、「真実」は必ず見えてくる、そう信じたい。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

「ルワンダの涙」

昨日は、「ルワンダの涙」という映画を見に、六本木ヒルズまで出かけた。

この映画のことを知ったのはおととい。

古い新聞(1/15/07(月)日経新聞夕刊)を整理していて、偶然、知った。

捨てかけて、目に入った“難民映画”の文字。

「見に行きなさい」ということだと思い、ネットで調べると上映しているのは六本木ヒルズ。

人工的な場所は大の苦手。

六本木ヒルズにももちろん行ったことはない。

意を決して出かけ、「難民映画」を見るには座り心地のよすぎるシートに、体をうずめた。

先日、ここで「ホテル・ルワンダ」のことを書いたが、「ホテル・ルワンダ」がルワンダ人の視点からの映画だとすれば、「ルワンダの涙」は白人の視点からの映画と言えるかもしれない。

日経新聞の記事によれば、『国連難民高等弁務官事務所がエイベックスと共同で、日本での広報・宣伝活動を展開する』とある。

「ホテル・ルワンダ」を見たときにも思ったが、「国連」とはいったいなんなのだろうと今回の映画を見ても感じた。

「助けるのは白人だけなのか!!!」と叫びたくなった。

そして、「日本人はきっと助けられるんだろうな・・・」と思った自分にも腹がたった。

(日本は国連に多額のお金を出している)

「人間の命は等しく重い」などというのがきれい事だというのが、この2本の映画を見るとよくわかる。

しかし、それがきれい事だということを踏まえた上で、わたしたちは新しい一歩を踏み出さなければならないと、感じることができる映画ではないかと思う。

上映が終わり、足早に六本木ヒルズを後にし、渋谷へと向かった。

「チョムスキーとメディア」を見るために。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

「ホテル ルワンダ」

「見たい」と思いつつ、映画館で見ることができなかった映画。

この映画もそんな中の1本。

この映画の中にこんなせりふがある。

ルワンダを取材で訪れたカメラマンの言葉。

「世界中の人々はあの映像を見て、“怖いね”と言うだけでディナーを続ける」

私自身が、この「ディナーを続ける世界中の人々の中のひとり」であったことを認めなければならない。

そう、あの日までは・・・。

世界中で起きている悲惨な出来事を、「かわいそうで、見ていられない・・・」と、目をそらしてやり過ごしていた。

でも、それはきれいごと。

実際には、自分とは、「関係のない出来事」としてみて見ぬふりをしていただけ。

でも・・・。

あの日を境にしてわたしの人生は、変わってしまった。

(その日からの出来事は、いつかこのブログにも書くことができるかもしれません・・・。私自身の準備ができた時に・・・)

あの日から、わたしは、「目に見えない力」によって導かれてきた。

このブログを始めたのも、その「力」に導かれてのこと。

もう、「ディナーを続ける世界中の人々の中のひとり」に戻ることはできない。

もし、わたしが、それを望んだとしても。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「母たちの村」

以前から見たいと思っていた映画、「母たちの村」を先日ようやく見ることができた。

この映画は、アフリカに広く伝わる「割礼」を題材にしたもの。(ここで取り上げる「割礼とは女性性器切除のこと)

「割礼」というと宗教的なものというイメージがあるかもしれないが、映画を見るとそうした側面だけではないことがわかる。

幼い少女のころにアフリカでは、この「儀式」を受けるという。

年間200万人とも300万人ともいう少女たちが、これを受け、激しい痛みに耐え、時に命を落とすこともあるという。

激しい痛み、苦しみはこの「儀式」のときだけではない。

セックスのときも激痛に耐え、出産のときも大きなリスクを背負う。

これは、紛れもない「現代」の話。

こうした「割礼」という慣習のないところでは、とても信じられない話だ。

しかし、彼らにとっては、「割礼」は「正しいこと」なのだ。

先日、この国でも、「女性は産む機械」という発言が物議を呼んだが、おそらくは、彼の中では、この発言は「正しいこと」なのだと思う。

そして、実はこの国には、この発言を「正しいこと」だと思う人が、わたしたちの想像以上に多いのかもしれない。

この映画の救いは、「新しい価値観」が生まれることを予感させてくれること。

この日本列島にも「新しい価値観」が生まれることを祈りたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「不都合な真実」

ゴアさんをテレビ等で見かけるたびに、思い出すことがある。

それは、2000年の8月のこと。

当時、わたしは夫と共に、アメリカアリゾナ州で暮らしていた。

夫は、大学院で学び、わたしはコミュニティーカレッジで英語を勉強した。

(全然、上達しなかったけど^^;)

そのコミュニティーカレッジの授業で、大統領選の模擬投票をすることになった。

時は、大統領選の真っ只中。

ゴアさんとブッシュさんが接戦を繰り広げ、ほぼ、互角と言われていたときだった。

クラスでの結果は、ゴアさんとブッシュさんの得票数が同数。

これには、先生もわたしたち生徒もびっくり!

そこで、ある生徒が、「先生はどうなの?」と聞くと、「それは秘密だよ」と彼は答えた。

ちなみに、わたしは、「ブッシュ」と書いた。

模擬投票とは言え、これはわたしの「人生最大の汚点」だと思っている。

正直、わたしはこの2人のことをよく知らなかった。

そこで、「なんとな~く」、「ブッシュ」と書いてしまった。

「不都合な真実」を見て、「あ~、ゴアさんが大統領になっていたら・・・」とあらためて思った。

ゴアさんが大統領になっていたら、イラク戦争は起きなかっただろうし、アメリカが京都議定書を批准したことは間違いないだろう。

ハ~、と映画を見ながらため息が出た。

しかし、途中から考えが変わった。

「ゴアさんが大統領になっていたら、世界はもう少しましな方向に行っていたかもしれない」

「でも、彼が大統領になっていたら、彼が進めようとした環境に関する政策はつぶされた可能性が高い」

「そして、なによりこの映画は作られなかっただろう」

彼のような影響力の強い人が、こういう映画を作ったことは「意味」のあることなのだ。

この映画を見ることで先進国の人間、とりわけアメリカの人たちが地球温暖化を真剣に考えるきっかけになるのではという「希望」を持ちたい。

そして、わたしはこの時の模擬投票のおかげで、日本に帰ってきてから、選挙のときに、「1票」を真剣に考えて投票するようになった。

『先進国の人間の「1票」が、時に世界を動かすほどの影響力を持つ』

| | コメント (0) | トラックバック (7)

「ダーウィンの悪夢」

そこに拡がっていたのは、苦しみと悲しみとどうしようもない絶望だった・・・。

「ダーウィンの悪夢」を見に行ってきた。

涙も出ないほど絶望的な世界・・・。

これ以上の言葉はない。

もし、あなたが「世界の平和」を願うなら、ぜひ、この映画を見て欲しい。

そして、わたしたちの「豊かな生活」が途上国の人たちの大きな犠牲の上に成り立っていることを知って欲しい。

昨日、わたしは「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」という本についてここに書いた。

この映画は、映像でわたしたちにその「世界」を見せてくれる。

「悪夢」のような世界。

しかし、「悪夢」の中にいるのは彼らなのだろうか?

「悪夢」の中にいるのはわたしたちのほうではないだろうか?

共に地球に生きる彼らから、搾取し続け、「豊かさ」を謳歌しているわたしたちこそ、「悪夢」の中にいるのではないだろうか?

「悪夢」であっても「夢」ならば、いつかは覚める。

わたしたちは、この「悪夢」を終わらせることができる。

そう信じている。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

火垂るの墓

「火垂るの墓」の再放送を見た。

なぜ、この暮れも押し迫ったこのときに、日テレはこの作品を再放送したのだろう?

もうすぐ新しい年がやってくる、人々が少し浮き足立ったこのときに、なぜ、再放送したのだろう?

12月は、私自身は混乱の1ヶ月だった。

落ち込んだり、テンションが高くなったり、ここ数日は浮き足立っていたと思う・・・。

北山耕平さんのブログを読み、昨日がウーンデッド・ニーのその日であったことも忘れていたことに気づき、また、愕然とした・・・。

・・・自分の中心がぐらついているのかもしれない・・・。

いや、そもそもわたしは自分の中心がわかっているのだろうか?

なんだか、、、大きな宿題を抱え込んだ気持ちだ・・・。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

遅ればせながら・・・。

先週末、遅ればせながら「華氏911」を見た。

夫の実家で、夫と夫の母とわたしという奇妙な取り合わせで、夕食後にダイニングテーブルの上に母のノート型パソコンを置き「鑑賞会」となった。

わたしと夫はマイケル・ムーア作品はこれまでも何本か見ていたし、わたしは、田中宇氏の「仕組まれた911」や田中優氏の「戦争って環境問題と関係ないと思ってた」などを読んでいたので、「再確認」的に見ていたのだが、母の反応はすごかった。

映画そのものよりも母の反応のほうが、印象に残っているほどだ。

「エ~、何これ?」

「・・・どういうこと?」

「ヒドイ!」

「じゃー、グルだってこと?」

「     ・・・・・     」

「   !!!!!!  」

「     ???    」

と彼女の頭の中はフル回転になってしまったようだ。

免疫のない人がこの手の情報が一度に入ってきたら、たぶんこうなるだろうなと思った。

911の時に、ペンタゴンから5kmほどのところに住んでいた友人が911の直後、確か翌日か2日後ぐらいだったと思うが、ペンタゴンの前で撮った写真をメールで送ってくれた。

あの時は、その写真を取っておくことが、なにか悪いことのような気がして、数日後には消去してしまったのだが、今でもその写真の印象は覚えている。

それは、「不自然」なほど「ハッキリ」写っていたということだ。

ワールドトレードセンター周辺が、すさまじい粉塵により近づくことさえできなかったことに比べ、その写真はペンタゴンのかなり近くで撮られていた。

そして、破壊された状況が「鮮明」に写っていたと記憶している。

それがあまりに「ハッキリ」写っていたので、あのときはあまりに生々しくて消去してしまったのだ。

今、アメリカ国民の30%以上の人たちが、911にはなんらかの陰謀が絡んでいると考えているという。

わたしたちの知らないところで、知らされないところで世界は動き、ほんの一握りの人たちの利益のために恐ろしいことが起きているのかもしれない・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (1)