過去からつながる

“今”があるのではない

未来につながる

“今”があるのではない

ただあるのは

“今”という一瞬

それは

常に

始まりであると

同時に

終わりでもある

それは

輪を描き

永遠に続く

―――――――――
最後までお読みくださってありがとうございます

Tipi

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役目

ただ

今 ここに 生きている

ただ

今 生きている

ただ

ここに 生きている

何かになろうとせず

どこへも行かず

ただ

今を生きている

ただ

ここに生きている

一瞬の“今”を生きている

ただ

“体”というここに生きている

ただ

生きている

ただ

生きている

それこそが “役目”

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最後までお読みくださってありがとうございます

Tipi

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ブルーベリー摘み

今日はお友達とブルーベリー摘みに行ってきました。

無農薬なので、摘みながらぱくぱく。

セミの鳴き声

気持ちよさそうに飛ぶトンボ

ひらひらと優雅に舞う蝶々たち

おいしいパンの差し入れもいただき、幸せなひと時でした。

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最後までお読みくださってありがとうございました。

Tipi

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ワカメちゃん

今日は、美容院に行ってきました。

こうしてほしい、あーしてほしいと伝えるわたし。

ここはこうしたほうがいいですよ、そのほうが手入れが楽です、とアドバイスしてくれる美容師さん。

では、こうしましょう!

と、お互い意志の疎通は十分できたと思い、後はおまかせすることに。

今日は、午前中もめいっぱい忙しかったわたしは、目をつぶり、少し、ウトウト。

・・・少し経ち、目を開け、鏡を見ると・・・、

・・・?????????????・・・

わたしの頭の中は、↑ こんな感じ!!!

鏡の中には、すっかりワカメちゃんになったわたしが!

なになに、どういうこと???

思わず、「ずいぶん、短いんですけど」と言うと、「大丈夫ですよ~、内側ですから~」とのお言葉。

でも、外側になるはずの髪ってどこにあるの~と思っていると、やっぱり、出来上がったのはワカメちゃん・・・。

わたしの髪の毛、返してーーーー!!!!!

と思わず叫びたくなりました。

日本語って難しい・・・と思った一日でした。

___________________

最後までお読みくださってありがとうございました。

Tipi

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模様替え

4月に入り、風邪をひいてしまい久しぶりの更新です。

風邪の原因は、「季節の変わり目」ではなく、ストレスによる暴飲暴食。

・・・情けない・・・。

今、マクロビオティックの料理教室に通っているのですが、そこで、ひとりひとり自分の作った作品を先生に食べていただくという機会がありまして。

かなりのプレッシャーとストレスで、過食してしまいました・・・。

料理は好きなんです。

よく、友達をもてなしたりもするんです。

友達も「おいしい!」と言ってくれるのです。

でも・・・、料理に対してかなりのコンプレックスも持っているのです。

その理由は、わたしの両親の実家は、どちらも旅館を経営していまして。

特に母方では、子どものころ仕込みを手伝っていて、祖父に怒られたりして、、、

「こんなものは、お客様に出せねー!」などと言われたり。

わたしにとって料理は、「修業」というイメージが強いのです。

人前で話すようなことは、全然平気なのです、100人だろうが、200人だろうが平気です。最初の一言さえでれば、あとはなんとかなるのです。

でも、料理についてはダメなんです、、、わたし。

マクロビオティックの料理教室に行くようになり、「あ~、料理って楽しいものなのね~」などと、今頃になって感じている今日この頃なのです。

と、前置きが長くなりました。

どうにか体調も回復し、気分も一新、ブログの模様替えをすることにしました♪

このブログを始めたときから、壁紙というのでしょうか、背景がしっくりしていなかったのです。

とりあえず、「まっ、いっか、これで」と決め、そのうち変えるつもりでいたのですが、月日が流れ、変えるタイミングを逃していました。

でも、いいかげん変えようと思い立ち変えることにしました。

今までお立ち寄りくださったみなさま、違和感を感じるかもしれませんが、これからもよろしくお願いします。

あらたにお立ち寄りくださったみなさまも、よろしくお願いします。

最後までお読みくださってありがとうございました。

Tipi

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曲線に癒されて

曲線に癒されて
今日は、先日あけびのかごを作った時に余った蔓で、リースを作ってみました。

リースといえばクリスマス。

でも、今は春。

そこで、スターチスの白と麦を使って軽やかなイメージで作ってみました。

グルーガンを使って固定しようかとも思いましたが、季節によって花を変えたほうが楽しいと思い、リースに差し入れるだけにしました。

先日のかご作りの時は初めてだったので夢中で作りましたが、今日、リースを作っているとなんだかとってもリラックスしました。

やっぱり、自然のものってなにか力を与えてくれるのかも、と思ってしまいました。

曲線の世界はやっぱり美しい、とも感じました。

曲線には人を癒すエネルギーがある、そんなふうにも思います。

直線の世界で生きているわたしたち。

時々は立ち止まり、曲線の世界に浸るのも必要なのかもしれませんね。

最後までお読みくださってありがとうございました。

Tipi

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あけびとのおしゃべり

あけびとのおしゃべり
先週末はまた藤野町に行ってきました。

先週に続いてキッチンしみずでおいしいランチをいただいた後、藤野芸術の家に行きました。

そこで、以前からやってみたいと思っていたあけびの蔓を使ってのかご作りをやってみました。

偶然、体験講座をやっていて、しかも後2日でその講座は終わり。

これは、今やるしかないと思い、もう時間はあまりなかったのですが、やらせてもらうことに。

そして、温泉好きの夫は、この間、温泉へ。

インストラクターの方が丁寧に教えてくださるのですが、不器用なわたしは、頭の中が?????こんな感じに(^_^;)

初めは、くねくねと曲がるあけびの蔓を前にあ゛ーって感じでした。

でも、インストラクターの方が「あけびが行きたがっているほうに行かせてあげてください」という言葉にハッとしました。

そうだよね、あけびと話さなくちゃ、と思い、そこからは、あなたはどこに行きたいの?どうしたいの?と聞きながら作っていきました。

あけびとのおしゃべりは初めてだったので、気持ちが通じあった、とはとても言えませんが楽しい時間を過ごすことができました♪

今回は、用意してくださったあけびで作りましたが、今度は山に行って自分で話したあけびでかごを作ってみたいです!

最後までお読みくださってありがとうございました。

Tipi

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せみの鳴き声

横浜は昨日までの涼しさはいずこへ~、というぐらい暖かい(暑いくらい)です。

午前中はせみが鳴いておりました。

最後の一鳴きでしょうか?

きっと、せみも今日の暖かさ(暑さ)に勘違いしたのでしょう。

というよりも鳴きたくても寒くて鳴けなかったのでしょうか?

せみの生態に詳しくありませんので、わかりませんが・・・。

ともあれ、暑かったのが急に涼しくなったりで、夫の会社では風邪ひきさんが多いとか。

(夫もその中のひとり^^;)

季節の変わり目ですし体調に気をつけて過ごしましょう。

最後までお読みくださってありがとうございます。

Tipi

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期日前投票

来週末、親類の結婚式に出席するため、昨日は期日前投票に夫と行ってきました。

区役所にはたくさんの人が来ていたので、少し驚きました。駐車場はほぼ満車でした。

いつもは誰に投票するか、ちゃんと決めて投票所に行きますが、今回は比例は本当に、悩みました。

いざ、記入する段階になってもまだ悩んでいました。

今回ほど、一票の持つ意味を考えたことはありません。

わたしたちの一票が、この日本列島の真の豊かさにつながることを願ってやみません。

そして、わたしたちの一票が、世界の豊かさと平和につながることを願っております。

最後までお読みいただきありがとうございます。

Tipi

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満開

満開
今、我が家のベランダでは、イングリッシュラベンダーが満開。

花が開く前、つぼみのうちに切ってポプリにするとよいと聞くけれど、わたしはラベンダーの花が大好きなので、開くまま眺めている。

イングリッシュラベンダーのほかにもレースラベンダーがあり、こちらは小さな苗を買ったので、今は下のほうからどんどん芽が出てきているところ。

これからしばらくは楽しめそうです♪

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衝撃の告白

おととい、母から電話があった。

「実は・・・」と母が始めた話は、衝撃の告白で、「おいおい、ちょっと待ってくれよ!」と言わずにはいられなかった。

とても、自分の心の動きを「視る」余裕はなく、激しく動揺した!

というわけで、明日は急遽実家へ行くことに。

いったい“神”は、“偉大なる存在”は、わたしにどうしろとおっしゃっておられるのか?

いったいなにを求めておられるのか?

それとも“わたし”が、これらのことを引き寄せているだけなのか?

考えても仕方ない!

あるがままに、全て、あるがままに!

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大地の上を

アスファルトで固められた大地の上を、わたしは歩く

この足元の大地に、木々たちが根をはり生きていたのは、

いったいいつのことなのだろう?

この足元の大地の上を、動物たちが駆け回っていたのは、

いったいいつのことなのだろう?

そんなことを想いながら・・・

今日もわたしはアスファルトで固められた「母なる大地」の上を歩く・・・

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母のメール

母は新し物好き。

と言うより、おもちゃ好きと言うほうが正しいかも。

ファービー、たまごっちと購入して遊んでいた。

その後、ファービーはサイドボードの中で長い眠りにつくことになり、たまごっちはお茶を飲みながら操作し、手が滑って湯飲みの中に落とし、あえなく溺死。

母は、「お風呂に入れたら、壊れた」と言っていたけど(^^;)

そんな母に先日帰省した時に、携帯のメールの仕方を教えた。

たまたま、2人ともauを使っていて(しかもまったく同じ機種の色違い!)、Cメールでやり取りしている。

母は、メールが気に入ったらしく、こまめに打ってくる。

ところが、文字の打ち方、変換の仕方、絵文字の入れ方など一通り教えたのに、メールはすべてひらがな。

この全部ひらがなのメールって、本当に読みにくいものです。

まあ、それでも一生懸命打っているわけだし、ボケ防止というところでしょうか?

それに物のない時代に幼い頃を過ごした母には、“今”がおもちゃで遊ぶときなのかもしれません。

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東京マラソン

昨日は東京マラソンでしたね。

ランナーの皆さん、冷たい雨の中、本当にお疲れ様でした。

ボランティアの皆さん、沿道で応援された皆さんもお疲れ様でした。

参加された皆さん、関わられた皆さんは、「晴れてくれれば・・・」と思われたでしょうし、近隣の皆さんは、交通規制で不便な思いをされたでしょうが、今日の東京の空気は、いつもよりもさわやかだったのではないでしょうか?

とはいえ、次回は、晴れて暖かい日になることを願っております(^^)

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春の使者

春の使者

去年と同じ場所に、顔をのぞかせたふきのとう。

都会の小さな公園のかたすみに春を告げる使者。

田舎では、さして珍しくもないふきのとうも、都会では、母なる大地とつないでくれる…。

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夕日と朝日

今日は、夕日が美しかった。

夫がまだ、「夫」ではなく、「恋人」だったころ、美しい夕日を眺めては、「この夕日は、どかかの国の朝日・・・。夜が訪れる場所と一日が始まる場所がある・・・」そんなことをよく考えていた。

そのころ、彼ははるか太平洋の向こうの、時差16時間の場所にいた。

月を眺めては、「この同じ月を数時間後には、彼も見る・・・」そんなことを思っていた。

母なる大地の上に共に生きるわたしたちは、同じ太陽の陽射しを浴び、同じ月を眺めてる。

それなのに・・・、なぜ、わたしたちは争わずに生きていけないのだろう・・・?

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節約とばねばかり

節約とばねばかり

これ、なんだかわかります?

これは、我が家の家計簿。

「???」って感じでしょうか?

わたしは家計簿をつけるのが苦手。

それでも、結婚してから4年ほどは家計簿をノートにつけていたけれど、書き忘れたりするし、書いても最終的に集計するのがめんどうで、つけても意味がない。

パソコンで管理されている方もいらっしゃるでしょうが、挑戦してみたけど続かない。

そこで登場したのが、コレ!

ばねばかり。

家計簿とばねばかり。

どんなつながりが?と思われるでしょうが、わたしはこのばねばかりでごみの量を測っているのです。

そして、その量をカレンダーに記入。

もともとは、環境のためにごみを減らそうと思って始めたのがきっかけ。

でも、やり始めると「ごみが多い=無駄が多いってこと」と思い、それじゃごみを減らせば、無駄も減るということで、ごみを減らすことが我が家の家計簿になることに。

本当は、月の集計をしたほうがいいと思ってもずぼらなわたしは、測ってカレンダーに書き込むだけ。

でも、ダイエットではないけれど減っていくのってけっこうおもしろい!

増えるとなにが原因だろう?と考える。

もう2年近く続けているけれど、真剣に家計簿をつけ、「いったいどこをどうすれば、無駄をなくせるの~?」と思っていたのが、ごみを減らせばいいんだ!と気づいてからは、生活も少しずつ変化。

無駄なものは買わなくなったし、捨てるときに捨て方のわからないものは買わなくなった。分別するのが大変だから。

なにがどう変わったのか自分でも説明できないけれど、光熱費も減ってきた。

同じように生活しているのに。

たぶん、自分の意識が変わったせい。

ごみは税金を使って回収され、税金を使って処分されている。

ってことは、ひとりひとりがごみを減らせば、使われる税金も減る。

ごみのことを考えるって、お金の使い方を考えることかもしれない。

今年は、生ごみを家で処理して、さらなる減量をめざすつもり♪

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今年のお正月

明けましておめでとうございます。

と言うにはあまりに時間がたってしまいましたが・・・。

ふと気づけば、もう鏡開きじゃありませんか。

夫の年末年始の休暇がいつもより長くとれたことと、わたしの祖母が入院していることから長期で帰省したため、家の中はほったらかし。

やっとパソコンに向かったという感じ。

1月1日、3日と祖母の入院している病院に行ったので、今年はお正月気分とは無縁。

1日は叔父叔母と従妹たち姉妹が付き添いの日。

わたしは従妹たちと3人で談話コーナーでたわいもないおしゃべりをし、とても楽しかったけど。

従妹の姉のほうが、手先が器用でこの日は時間つぶしにパッチワークの道具を持ってきていた。

編み物も上手で、編み物の話でしばらく盛り上がった。

冬の夕日が差し込み、「お正月気分」はなかったけれど、穏やかな時間が過ぎていった。

祖母はずっと旅館を経営していたし、父方の本家も旅館をしているのでお正月に親戚が集まるという経験をしたことがなかったわたし。

だから結婚して夫の実家に親族が集まるのがとても新鮮だった。

今年は祖母の入院という、うれしくはない理由だが、お正月に自分の親戚と集まるという経験を初めてした。

祖母の容体は、少しずつ少しずつよくなっている。

本当にゆっくりだけど。

暖かくなる頃には、退院できることを祈りつつ・・・。

今年1年が、みなさまにとってよい年になりますように。

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冬至

今日は冬至。

特別な日。

去年は12月に入ってから冬至までは、「祈りの時」だった。

今年は・・・。

「祈りの時」であると同時に、自分の内側へと入っていくような時だった。

・・・新しい年が始まる・・・。

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片道4時間の道のり

今日は、祖母が入院している病院まで出かけてきた。

片道4時間。

・・・疲れた・・・。

朝は、JRのダイヤが乱れ、かなりあせった。

余裕を持って家を出たものの、祖母の入院している病院へ行くには、1時間に1本、多くても2本、というローカル線に乗らなくてはならない。途中までのルートを変更しなければならなかった。

都会で1本乗り過ごしたぐらいは、なんということはないが、その先の先となると、かなりつらい。

ルートを変更したため、2回乗り換えで済むはずが、3回乗り換えになってしまった。

まあ、どうにか予定していた電車で向かうことができたけれど。

途中、いったい自分は何をしているのだろう?と正直思った。

でも、そのときふっと「すべてのことはつながっている」と心に言葉が浮かんだ。

そう、すべてのことはつながっているのだ。

都心のダイヤの乱れが、さまざまなことに影響を与える。

遠く離れたところで起きる、一見なにも関係ないように思えることが、実はつながっているのだ。

もちろん、これはダイヤのことだけを言っているのではないわけで。

世界中で起きている、一見自分とはなんの関係もないようなことが、実はとても関係のあることであるかもしれないのだ。

と・・・そんなことを感じた。

往復8時間。

祖母の穏やかな笑顔を見れて、ほっとした。

行ったかいがあったかなと思う。

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もうひとつの世界

昨年の9月に北海道に住む小学校6年生の少女が、学校の教室で自殺を図った。

彼女は、今年の1月に亡くなった。

彼女が残した遺書には、悲しい言葉が並べられていた。

つらい気持ちを懸命に綴ったのだろう。

学校関係者は、いじめは無かったというコメントを出していた。

しかし、それを翻してご遺族の方々に謝罪し、いじめがあったことを認めた。

わたしの友人知人にも、自殺した人がいる・・・。

彼らはみな、やさしくて、そして、そのやさしさゆえに、とても傷つきやすい人たちだった。

その中のひとり、I先輩のことは、わたしにとても大きな衝撃を与えた。

彼女とわたしは、同じ地元の中学校へ通い、同じ高校へ進学した。

物静かで、とても美しいひとだった。

そして、頭のいい人だった。常に学年でもトップクラスで、彼女ならば現役で東大にも入れただろう。

わたしたちは、毎朝、同じバス停から、同じ時間のバスに乗り高校へと通った。

彼女の家は、そのバス停からは遠かったのだが、家の人が毎朝、彼女をそのバス停まで送ってきていた。おそらくは、お父さんだったと思う。

田舎の中学校では、上下関係が厳しく、たとえ一学年、歳が上なだけでも絶対に逆らえなかった。

その名残で、バスが来るとわたしは、先輩に先を譲った。

わたしが先に来ていてもそうしていた。

先輩は、いつでも遠慮がちに先にバスに乗った。

わたしが、後に来たときでもだ・・・。

・・・たしか、寒い季節だった。

そんなI先輩が自殺した・・・。

農薬を飲んでの死だった。

人から聞いた話では、I先輩のご両親が離婚されることになり、そんなときに友人から「親が離婚したら、結婚なんてできないよ」と言われたことに、相当なショックを受けていたということだった。

離婚することがめずらしくない今であれば、死を選ぶことはなかっただろうに・・・と思う。

しかし、当時は、両親が離婚することは田舎では本当に珍しいことだったのだ。

事実、わたしの両親がわたしが高校を卒業するのに合わせて離婚したとき、当時わたしがつきあっていた人のお母さんは、わたしたちがつきあっていることをこころよく思っていなかった。

わたしたちが別れたとき、彼のお母さんは、心底ほっとしたと思う。

先輩の自殺の原因は、それだけではないのかもしれないが、時に「言葉」は「凶器」にもなる。

深く人を傷つける。

傷ついている人にとっては、ナイフのように心に突き刺さることがある。

しかし、わたしは、人を傷つけることは自分を傷つけることだと思う。

そのナイフは、相手の心を突き刺すと同時に、自分の心にも突き刺さっているのだと思う。相手に突き刺したのと同じだけの深さで・・・。

でも・・・、突き刺したほうは、自分の痛みには気づいていない・・・。

だから、また、誰かを傷つける。

自分も血を流しているのに・・・。

北海道のことで、学校関係者は、何重もの過ちを犯した。

ひとつは、もちろん、少女を救えなかったこと。いじめを認識せず、彼女を追い詰めてしまったこと。

そして、いじめがあったことを認めなかったこと。

そして、いじめたほうの子供たちの心のケアをしなかったこと。いじめを認めなかったことで、その機会は失われてしまった。

彼らは、一生その傷を持ったまま、生きていかなければならない。その自分の傷に気づかなければ、また、誰かを傷つけるだろう・・・。

そうならなければいいと思う。

ネイティブ・アメリカンの死生観では、「死」は終わりではなく、形を変えるだけだという。

「もうひとつの世界」へ行くのだという。

わたしには、まだよく理解できないが・・・自ら死を選ばざるをえなかった彼らが「もうひとつの世界」で穏やかな光に包まれていることを心から願う・・・。

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美しい国

先週末は、自分が生まれた場所へと行ってきた。

今、日本列島に暮らす人たちが失おうとしている場所。

わたしたちは、ずいぶんいろいろなものを失ってきた。

「発展」、「成長」あるいは「豊かさ」という言葉と引き換えに。

都会にはもう「自然」などと呼べるものは、残っていない。

田舎の多くも、平らな土地は、家が建ち、工場が建ち、畑や田んぼとなり、「自然」は姿を消した。

山や森の多くが、人間の管理下に置かれ、「守られている」。

わたしが生まれた場所は、そんな日本列島の中で、かろうじて「自然」が残っている場所だった。

今、その場所は、破壊されている。

あの美しい場所を失いかけている。

わたしたちは、あとどれだけのものを失えば、気がつくのだろうか?

つい最近まで、そこは、携帯もつながらない場所だった。

祖母が一人で暮らしているので、もちろんパソコンも無い。ビデオも無い。一番近いスーパーまでは、車で15分以上かかる。

だが、星は美しい。

熊や、日本カモシカ、いのししが暮らすそんな場所だ。

わたしたちは、その場所を永遠に失おうとしている。

しかし、今ならばまだ間に合う。

すべてを失ってから、「お金」は、食べられないと気づくのではなく、今、多くの人が気づけば、まだ間に合うと信じてる。

「美しい国」

わたしたちは、自分自身に問いかけなければならない。

それがどんな国であるかを・・・。

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目に見えないものの力

時に人は、自分の意思とは違う選択をするものだ。

自分の意思で選択したことでさえも、後に振り返ると、そこに、なにか目に見えないものの力を感じることがある。

最近、また、その速度が加速している。

出会うべき時に、出会うべき人に出会う。

必要なことが、必要なときに起こる。

読むべき本に、読むべきときに出会う。

それらは、すべて、自分の意思で選択したことの延長に起きているはずだ。

しかし、そこに、大いなるものの意思を感じる。

それは、大いなるものの望むことなのだろう。

「ゆだねる・・・」

その大いなる力を信頼し、ゆだねる時が来ているのかもしれない。

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思考の力

ある市民活動の会に参加したときのことだ。

「わたしの周りには、今がどんなに悲惨で、ひどい状況だとしても、世界は絶対によい方向へ進むと信じているひとがたくさんいますよ」と言ったら、「信じられない・・・」と言われた。

でも、わたしにしてみれば、「信じられない」ということが、信じられなかった。

「それじゃあ、なんのために市民活動をするのですか?」と問いかけずにはいられない。(実際には、絶句して、言葉がその瞬間は出てこなかったが・・・)

今、この世にある状況は、人間が作り出したものだ。

それが目に見えるものであれ、目に見えないものであれ、人間の思考が作り出したものだ。

思考の結果が、この世に現れているのだ。

だとすれば、人は、自分の思考に責任を持たなければならない。

この世がどんなに悲惨な状況でも、怒りに震えるような状況でも、感情を思考に押し付けるべきではないだろう。

今日がもし最悪な一日だったとしても、美しい世界が訪れると信じること、その美しい世界を思い描くこと、それが大切なのだと思う。

今よりももっと、その「美しい世界」を思い描く人が増えた時、奇跡が訪れるにちがいない。

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閉じられた輪、新しい輪

あれから1週間経つ。

あの夏の終わりの日、わたしは、過去をたどろうとした。

しかし・・・。

すべては、変わっていた。

駅の前の風景、駅の前の道、あの場所に続くもののすべてが変わっていた。

結局、わたしは、あの場所にたどりつけなかった。

「次の角まで行ってみよう・・・」と歩き、そこまで歩いては「次まで・・・」

そんなことを何度となく繰り返し、歩き回った。

もう2度と来ないのだから、気の済むまで歩きたいと思いながらも次の予定の時間が、刻一刻と迫っている。

もっと早く来るべきだった・・・。そう思ったりもした。

実際、わたしは、予定していた時間よりも1時間近く遅くやってきたのだ。

1時間ほど歩いて「もう一度来るべきだろうか?」という思いが浮かんだとき、なぜかはっきりと「もう2度とあの場所にはたどりつけない」ということがわかった。

それは、あたりの様子がすっかり変わってしまったからではなく、なにか目に見えない力が、わたしをあの場所にたどりつかせないようにしていると感じたからだ。

あの夏、わたしは、「普通の日本人」として生きることを選択した。「よい日本人」として生きることを選択した。あの時それを意識していたわけではないが、あの時のわたしの選択は、そういうことだった。

しかし、その選択は、間違っていたのだ。

「普通の日本人」、「よい日本人」として生きることは、スピリットを捨てることだ。

そのことに気づきさえせずに、死んだように生きてきた。

いや、死んだように生きていたことさえ、気づいていなかったのだ・・・。

その場所を後にして、仲間に会った。

半年ぶりだ。

みんなの笑顔を見て、ほっとした・・・。

熱いスピリットを持った人たち。

波打ち際で遊び、美しい夕焼けを一緒に見ていると、世界のすべてが平和に満たされるような感覚を持った・・・。

この場所で集まることになったのも、あの場所に行ってみようと思ったことも、あの場所を見つけられなかったこともすべては、偶然ではない。

すべては、グレートスピリットの導くままに・・・。

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あの夏の海

明日は、海へ行く。

あの夏の海へ行く。

遠い過去への旅だ。

そして、あの時置き去りにした心を拾いにいく・・・。

あれから、いつも過去と未来を生きてきた。

現在の無い生・・・。  

ずいぶんよくなったかもしれない・・・。

よくなったという言い方は、適切じゃない。  でも、ほかになんて言う?

引きちぎれそうだった自分をどうにかつなぎとめて、そして、すこしはましになった。

いや、時に穏やかささえ感じるようになった。

これをよくなったと言わなければなんと言う?

自分を取り戻しつつあるのだ。

この言い方のほうが本当かもしれない。

封印されてきた自分を取り戻しつつある・・・このほうがもっといいかもしれない。

そして、わたしは、明日、心の一部を取りに行く・・・。

あの夏から、時間は、わたしの中でゆがんでいる。

過去と未来を行ったり来たりしながら、きしんでる。

そして、失っていく現在は、時に未来であり、一瞬のうちに過去へと形を変え、こぼれ落ちていく。

明日、あの夏へと帰るとき、わたしの中の時間は輝きを取り戻すのだろうか・・・?

これから先の時間が、どう廻り始めるのか・・・ わたしにもわからない・・・。

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明日の神話

今日、日テレまで岡本太郎の「明日の神話」を見に行ってきた。

昼過ぎの田園都市線は、すいていて、わたしは、持っていった「ヒロシマ---壁に残された伝言」をシートに座り読み始めた。

読み進めるうちに、8月6日のことが思い出されてくる。炎天下の中、広島の街を歩いたこと。しかし、袋町小学校資料館は、わたしの記憶の中に深いなにかを残したとは言えなかった。なにか・・・美しすぎる気がした。明るい陽射しをうけた館内は、どこかよそよそしく感じた。

本の中にはまったくの別世界が広がっていた。「この本を読んでから出かけていれば・・・」そんな思いがよぎった。しかし、そもそもこの本と出会ったことが、偶然だったのだ。それもわたしの手元にやってきたのは、広島に行った後だ。家の近くの古本屋でわたしを待っていたかのように、その本は並んでいたのだ。

そして、「明日の神話」を見に行く電車の中で、わたしはページをめくった。

絵の前に立ったとき、ただ、ただ、圧倒された。思考は完全に止まった。頭の中は、「明日の神話」でいっぱいだった。他のなにも寄せ付けないほど、頭の中が埋め尽くされた。こんなことは初めてだ!!!岡本太郎という人が伝えたかったものが、ようしゃなく迫ってきた。

どれだけの時間その絵の前にいたのだろう。昼食を摂っていなかったわたしは、その絵の前にあったTULLY'S COFFEEでサンドイッチをつまむことにした。

そして、本の続きを読んだ。涙が止まらなくなった。鼻水がたれた。すこし読み進んでは、涙をぬぐった。わたしは、「ヒロシマ」をすこしも理解していなかった。そんな気がした。本当に理解することなど出来はしない。それでも理解しようとする気持ちがあるかどうかということは大きな問題だ。「わたしの中のヒロシマは、今日、始まったのかもしれない」そんな気がした。

その絵が描き始められたのが、わたしの生まれた年であることも偶然では決してないのだろう・・・。

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